外出先で撮った写真をアップしたり、練習として書いた文章などをアップしていきたいと思います。
Posted by かば - 2012.11.05,Mon
昨日と今日にTwitterでつぶやいた創作関連のことと、今日の通院中にメモしたことを並べてみました。
思ったより多かったので、クラウディアに関することを除いていくつかに分け、生命全般における情報処理の話としてまとめてみても良いかな、と思っています。
意識とは、内外の状況をモニターして、その状況にふさわしい資源配分を行うためのプログラムだと思う。また、意識は各部分から全体までの多層構造になっていて、下位部分を「無意識」、上位部分を「(限定的な)意識」というのだと思う。クラウディアは雲の海市のすべてのインフラを管制するため、複数の階層からなる複雑な意識を持っていて、人間に近い意識という設定になる。でも、同じような構造といっても、中身は大分異なる。クラウディアの役割は「雲の海市のインフラ機能を維持すること」であって、それに沿ったことが「善・快」であり、逆が「悪・不快」と単純明快。クラウディアはインフラ管制という役割上、人間と同じように長期の将来予測能力もあるが、「役割を果たす」以上に自身には関心がない。クラウディアに承認欲求は存在しない。クラウディアにはその他の欲求もなさそう。あるとすれば、役割を果たすために「善・快」としたことを求める欲求くらいか。「個」は変容していくもの。その継続性を担保するのは、1. 肉体、2. 記憶、と思う。そして、記憶は脳や身体に刻みつけられたものと考えれば、「肉体」という唯一の答えになると思う。身体における情報処理(刺激に対する反応など)も相当な量だと思うので、脳と脊髄だけをそっくり移植できたとしても、その特定の「個」を維持したことになるのか、新たな「個」を生み出したことになるのか、疑問が残ります。クラウディアは多分、入れ替わっても誰も気付かないと思うし、自身も気にしないと思う。というか、周囲の人間が「個」と勝手にみなしているだけ。「個」って何でしょう? どんどん変わっていくものなのに、同一の「個」とみなせる、思えるのはなぜでしょう?まったく同一の存在を作れる場合、「個」をどうやって保障するかが、電人・電命の最重要課題かもしれない。「個」がなくても生存や活動に支障はないけれど、現代社会は「個」を前提としているので、「個」が保障されないと混乱する。電命・電人の「個」の保障は、単純に複製不可の識別コードの付与でできるかもしれない。機人・機命の場合も識別コードで良さそうだけど、サイボーグ化もありうるGM人間・GM知的生命・GM生命や人間の場合が面倒そうだ。“未来史シリーズ”では人間に対してサイボーグ化は程度に制限がかかっているけれど、GM人間などにはかかっていないからな。やはり、識別コードかな。元は「ゲノム機械」扱いだったのだし。「個」は、かなり曖昧なものだと思う。クラウディアに知人はいても友人はいないし、何かに愛着を感じることもない。というか、できない。役割に必要な機能ではないし。記憶の改竄に気付くということは、元の記憶を思い出すか、周囲の記憶や痕跡との矛盾において、周囲の方が正しいと判断するということ。クラウディアの場合、データベースの元の記憶を消去し忘れるというへまをされない限り、記憶の改竄に気付くことはないが、自分の記憶より、周囲の人間の記憶や痕跡の方が改竄されにくいと分かっているから、周囲の記憶や痕跡との矛盾から改竄に気付くということは十分あると思う。愛着は信頼によって生まれる。信頼は経験と将来予測によって生まれる。信頼によって確認のコストを省くことができる。これは「快」であり、愛着につながる。逆に、確認のコストを省く必要がない場合、信頼は愛着につながらない。また、経験には現実・実際のものの他に、空想によるものや記憶の変化による増幅も含まれる。つまり、現実・実際の経験がなくても、信頼や愛着は生じうる。クラウディアはこの確認が役割の1つだから、愛着が生じず、非常にドライというか、クールな感じ。ただ、好き嫌いはある。好きとは「善・快」をもたらすもの、嫌いとは「悪・不快」をもたらすもの。「善・快」を求めて特定のもの・行動などに執着することは愛着と言えるので、先ほどのつぶやきとの間に整合性が必要。「善・快」をもたらすものとして執着するということは、経験から再び「善・快」をもたらすと信頼しているということ。「善・快」をもたらすとの経験があっても、再びもたらすという信頼がなければ愛着は生じない。つまり、「善・快」を追求することが愛着には直結しない。経験の延長上に経験が繰り返されるという将来予測が成立して、信頼が生じるのではなく、確認コストを節約するために経験が繰り返されるという将来予測が成立しているのかもしれない。となると、確認コストは繰り返し許容することが難しいくらい大きいということになる。自分の周囲にあるすべてのもの、自分がするすべての行為についての確認コストを考えれば、容易に納得できるが。そうなると、クラウディアは毎日天文学的な確認コストを払っているということになるな。確認の対象が「インフラ」と比較的限定されているからなんとかなると思うけれど。理想、希望、期待、願望はどのように生じるのか?理想は、「善・快」をもたらす要素のみで構築されたもの、環境、状態。理性によって整理されていることが多い。希望は、理想に至る道筋。至るための選択肢。または、理想に向かって行動すること。期待は、周囲が自分の理想に沿って、または、向かって行動してほしいと思うこと。また、その思い。願望は、理性が認めたくない「善・快」をもたらす要素も含んだ理想。矛盾していることもある。クラウディアに理想、希望、期待はあるが、願望はない。理性が認めたくないのは、周囲からの自己評価が下がることを嫌うため。クラウディアに承認欲求はないので、周囲からの自己評価を気にすることもない。周囲からの自己評価を気にするのは、集団性・社会性の存在であるため。周囲からの自己評価が著しく低ければ集団から追放されるし、高ければ社会的地位も上昇して自由度も上昇する。周囲からの自己評価は集団・社会内での自己の価値であり、この価値が不変であると確信していれば、集団性・社会性の存在であっても、周囲からの自己評価を気にすることはない。ただし、その態度は周囲に傲慢と思われる。クラウディアは集団性・社会性の存在ではないし、雲の海市のインフラを管制するという役割が変わることもないので、周囲からの自己評価を気にすることはなく、周囲から傲慢に思われてもいる。集団性・社会性の存在でないものにとって、理想と願望の違いは基本的に存在しない。せいぜい、整理されて矛盾のないものが理想で、整理されてないものが願望というくらい。理性とは何だろう? 知性との違いは?知性とは、論理的思考能力のこと。理性とは、これに周囲からの自己評価という要素を加味した、集団性・社会性の存在が持つもの。そういう意味で、クラウディアは知性を持つが、理性は持たない。ただ、周囲の人間とのコミュニケーションを円滑にするために、周囲からの自己評価を下げすぎないように配慮はする。クラウディアが若い美女なのは、その辺のカバーでもある。美女は七難隠す。周囲からの自己評価を気にしすぎると隠蔽などが生じるため、クラウディアは気にしない設定になる。クラウディアは雲の海市のインフラという、比較的限定された環境で、生じる変化も比較的限定されているので、膨大な確認コストもパターン化などによって負担し切れているが、不特定多数との交流といった、環境も変化も大きい状態は負担が大きくなりすぎるため、苦手。クラウディアがヒロト一人に護衛されるのも、この辺の負担を減らすため。生命にとって、知覚するすべての事象は快から不快までの連続帯のいずれかをもたらすものと評価・認識される。ある種の生命がある種の知覚を重視しないように進化(物理的に変化)する(割り切る)ことも「信頼」と言えるかもしれない。
思ったより多かったので、クラウディアに関することを除いていくつかに分け、生命全般における情報処理の話としてまとめてみても良いかな、と思っています。
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