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Posted by かば - 2011.09.25,Sun
※2011/10/10にたとえ話部分に少し追加しました

放射線や放射性物質について説明するのに、サイコロを例えとして使ったらどうかと思ったので、うまく説明できるか挑戦してみます。

なお、私は福島第一原子力発電所の事故で学び始めた初心者であるため、内容の正確性は保証いたしません。

というところで始めます。


放射線や放射性物質、まあ一般には「放射能」とひとくくりにされるものの話では、セシウム137やら134、ヨウ素131、ストロンチウムなどと聞き慣れない単語がたくさん出てきますし、数字の単位だってベクレル、グレイ、シーベルトと何種類も出てきます。にわかに調べ始めたくらいだとそれらがそれぞれどう関係しているのか理解するのは大変です。

そこで、よく知っている「サイコロ」にたとえて考えてみることにしました。

まず、1が出るとスイッチが入って爆発するサイコロが何種類もあるとします。これが放射能を持つ放射性物質の原子で、爆発したときに飛び出すものが放射線です。そして、この爆発のことを崩壊と言い、何が飛び出すかでα崩壊、β崩壊、γ崩壊の3種類に分かれます。ちなみに、このサイコロの種類の違いが放射性物質の違いになるのですが、種類によって1の出る確率が違います。

続いて、このサイコロを1種類、何百個、何千個と集めて1秒間に1回振ります。すると、そのうちのいくつかは1が出て爆発します。この1秒間に1が出て爆発する回数がベクレルになります。また、放出された放射性物質の量などというように、サイコロの数を表すこともあります。

爆発したサイコロはもう使えないので、その次に振るサイコロの数は少し減ります。この減る割合は1の出る確率と同じで、何度振っても変わりません。そして、サイコロの数が半分になるまでの時間が半減期になります。

このときに大切なのは、減る割合は分かっていても、次に振ったときに1が何個出るかは分からないということです。1個も出ないかもしれませんし、もしかしたら、奇跡が起こって全部1が出るかもしれません。でも、1が出る確率で大体何個出るだろうということは言えても、何個出ると正確に言うことはできません。

これは、実際の放射線でいうと、放射線量(1が出た数)は常に一定ではなく、変動しているということです。ですから、瞬間的に低い値が出た、高い値が出たからといって一喜一憂するのではなく、何度も測って平均することが必要になります。

話が少しそれました。

サイコロが爆発すると3種類のものが飛び出しますが、このときに何が飛び出すかサイコロの種類ごとにみんな違います。同じものが飛び出すサイコロ同士でも、種類が違うと強さが違ったりします。そして、そういう飛びだしたものの種類や強さを数字で表したものがグレイになり、これらが人間の身体に与える影響を数字で表したものがシーベルトになります。

また、この飛びだしたものの種類や強さを調べることで、どの種類のサイコロが爆発したのか知ることができますし、爆発した回数も調べれば、その種類のサイコロが何個ぐらいあるのか知ることもできます(爆発する割合は分かっているので)。これが放射線測定における核種特定と核種ごとの測定になります。

ガイガーカウンターなどの原理についてはまた長くなるので、別の機会に考えます。


以上です。

しばらく時間を空けてもうまく説明できたと思えるなら、『北茨城私設応援団』や『きたしお通信』で使おうと思います。

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Comments
すばらしいです!
お久しぶりです。なかなかかき込む機会がありませんでしたが、いつもツイッターやブログを読ませてもらっています。
サイコロを例にした解説はとても分かりやすくて感動しました。流石はかばさん、完璧な理解力だと思います。
ツイッターで語られる科学技術や歴史、軍事の話題は専門家も顔負けでさらに数カ国語の読解に挑むなどますます知識に磨きをかけられていて、この先かばさんがどのように世界に認められ羽ばたいていくかとても楽しみになります。
かばさんのつぶやきはいつもとても深くてとても考えさせられます。まるで哲学者が世界の根源や人間の真理を追求しているように見えます。
以前にツイッターで何度か行われた論戦で相手を完璧に論破するのをみて胸がすく想いがしました。生半可な覚悟や知識ではかばさんには到底適うわけがないでしょう。
ネットには間違った知識や薄っぺらい考察をいい気になってひけらかす人達が多くいますがかばさんにはそういう人たちを正しく導いてあげられる、まさに正義の師、指導者の資質があるのではないかと思います。日本、世界のリーダーにもっとも相応しいと思います。
かばさんにはもっともっと大きくなって早く日の当たる場所で活躍してほしいと願っています。微力ながら僕もずっと応援していきますので、これからも頑張ってください。
Posted by かばさんファン - 2011.10.01,Sat 00:25:10 / Edit
ありがとうございます
かばさんファンさん、お久し振りです。

ものすごくほめてくださってありがとうございます。
照れくさくて、気恥ずかしくて、穴を掘って隠れてしまいたいくらいです。

まだまだ学ばなければならないことばかりですが、サイコロを使ったたとえ話でうまく伝えられたようでまた1つ自信が付きました。

今後も期待に応えられるように、少しずつ活動の幅を広げていきたいです。
Posted by - 2011.10.01 at 21:55
無題
すげぇww
自作自演乙www
Posted by きたいば - 2011.10.17,Mon 17:59:10 / Edit
自作自演ではありません
きたいばさん、初めまして。
このコメントの少し前に『北茨城私設研究所』でもコメントをくださいましたでしょうか?

また、自作自演はしていません。
Posted by - 2011.10.17 at 22:42
誤解をとくための説明
たしかに、このコメントの応酬はなにか「裏読み」したくなる種類のものです。というのは、普通にかんがえて、この かばさんファン さんによるコメントはちょっと熱すぎ、過剰にほめまくってるからです。ファンだから仕方ないのかもしれませんが。

 特に正義の師とか、世界のリーダー、というのがちょっときになります。
いま、アメリカを中心とした国際社会もこの過剰リーダーシップ同士の殲滅戦争じみたありさまを呈し始めています。ちょっと危険なほめかただ、とおもえてなりません。
 どちらかといえば、『意見の多様性を尊重する』、『自分とはことなる意見に真摯に耳を傾ける』、『少数派の意見でも聞き漏らさらない』、これらの末に適切な判断を積み重ねられるひとが混迷した時代にも独裁におちいらず、ただしく政治的判断をおこなえるのかもしれません。
民主政国家の没落に、独裁者や扇動家が現れ一役も二役も買っているのは衆愚化とよばれ、決して偶然ではないのではないですか。というより、民主政が長続きしなかったのはそういうひとびとがはびこってきたためです。
 そういうときに必要なのは、客観的な実証知識が、建設的で公正に議論や交換できる場です。喧嘩と勘違いしてはいけません。世界のつくりやそれを分析した知識はゆるがないし、それをみつけるために人ははなしあうこともある、というわけです。決して権力闘争ではないのです。
 われわれ動物がみな亡くなっても、真理はのこりつづけるでしょう。

 かばさんのツイッターでわたし共の http://t.co/0a8J3Idv この記事への‘気分悪い’発言をよみ、その誤解をときたくコメントいたします。その後の記事も、決してかば氏の人格をおとしめたりけなしたりするものではありません。
単に、法律がきめられてきてそれを守ろうとする契機を、かもめ筆にできるだけくわしく書いてみたものにすぎません。

 ひとことでいいます。
わたくしかもめは、「学問の自由」が政治の意図でみだされていくのを好ましくおもえません。http://t.co/0a8J3Idvの記事では、それがいいたいだけです。

「正義」ということばを絡めてきたひとには、少々の知識人らは全て一様に、最大限注意深くなるべきです。歴史がそう教えています。

ガリレオ・ガリレイは御存知ですね? かれが権力から干渉されて不当に裁かれた結果、南ヨーロッパの民は暗黒時代にますますおちいってしまったことがありました。それとおなじ誤解にもとづいた干渉や既得権の横暴の余地は、つねに知識の発展にとって注意深く避けられ、のぞかれねばならないものです。わたし、かもめの客観視によりますと、かば氏が市議会で傍聴されていた結果、権力からマークされてるのでは、とおもえてなりません。それをかもめは、かばをケモノから救うためにしらせたいのです。
正義の師などというのは大変に危険のたかい職責であって、狂気なしにはできない不穏な商売ではありませんか。正義とはなにか。これほどむずかしい学識はありませんし、いまだに人類が究極において知らぬところです。かもめはすこし知っているかもしれませんが、それでもかもめ界で認められるかられないかってところでしかありません。
 かばさんのお仕事は大変にすばらしいものではありませんか。特に、放射線量の累積はわたしもかもめ(ハンドルネーム)一家もよく利用させていただいており、その点、自分もかもめ界の一員として かばさんファン さんにまさるとも劣らぬ激励を与える者です。
結局、なんか口調ってか文体がいくらか市長っぽい方が隠れてこそこそかば氏を異常なほめ方(宗教化・偶像化)してるのがまこと扇動っぽいのでよくない、このままではかばんさ御用化してしまうっぽいなとおもったのです。かば氏がこれから政治家になられるならそういうことを日常的におこなうしかないのかもしれないですが、政治の世界では「真理」よりも優先されるのが権力なのです。
真理という価値は、そこではなんらかの権力をふるえるがわのもったおかしな恣意でねじ伏せられ歪ませられたりもしてきたのです。長幼の序とか孝行とか士農工商とか大義名分ってことばをかんがえてみてください。

客観的事実、実験で検証しなおせる物質や運動の事実、要は科学知識ですが、こういうもの以外をちょっと異常にほめたてたりけなしたりしている者には、なにかしらの意図がある、つけいられる余地があるとかんがえた方がいいですよ。権力者(独裁にちかければなおさら)が横暴しなかったことは人類史にほとんど一度もありませんでした。おわり
Posted by かもめ - URL 2011.10.20,Thu 01:46:34 / Edit
コメントありがとうございます
かもめさん、こんにちは。

コメントの主旨は理解できたように思いますが、

 ・かばさんファンさんについて「市役所のとある特別な部屋でごにょごにょしてるひとではないかとおもえてならない」と書き、さらに「このコメントの応酬はなにか「裏読み」したくなる種類のものです。」と書いて、かばさんファンさんへの謝罪等の言葉が一切ないこと
 ・「かば氏は~多少ライトノベルじみたSFを書くのが趣味なのだから仕方ない部類の寄り道である。」と書いたことに対する言及が一切ないこと

は残念でした。

かもめさんの目に私がどう映っているかは存じませんが、私は自分をSFという創作活動を基盤にそのほかの活動も行っていると位置付けて、拙SFを強く愛してくださっているかばさんファンさんとの交流に活力と励ましを得てきました。

かもめさんのあの記事はこの位置付けと交流を強く激しい言葉で否定するものと私には感じられ、あのつぶやきをした次第です。

コメントの主旨は結構なものと思いますが、これ以上、私の位置付けとかばさんファンさんのコメント、そして、私との交流を否定なさらないようお願いいたします。
Posted by - 2011.10.20 at 22:38
無題
その二つについてはわたし、かもめなりにはっきりした意見があります。

・かばさんファンさんの意見および書き込みの内容と姿勢をその閲覧者は何らかの解釈できねばならない(思想の自由)。

つまり、ある政治的意図がひそまされている意見を、あたかもその相手=かば氏、にきづかれない様にうえつける、のは決して公正なまなこではないでしょう。あなたはそのことを十分に理解なさっていないとおもいます。
 直接いいます。『あなたは正義の師とよべるほどのものではない』でしょう。そもそも、正義の師とよべるほどの何者かが人類のなかに一人でも存在し、また存在し得たかも疑問なのですから。
 正義(という名乗り、名義)は欺瞞に満ちているのです。9.11はある面からまったく正義だったらしいのですから。かばさんファン という名を名乗ったものが、あなたの活動をほめたてていることは、第三者にとってすればわりとどうでもいいことではないですか。もし、それらのごにょごにょな人の策略にはめられたっぽいかわいそうなかもめ一匹が心穏やかであろうがなかろうが。
 正義は、権力をもった者が自分にとってきにくわない者をおしつぶすための方便につかわれた非常に古ぼけた語彙です。このことを理解なさった方がよろしい。「法益」というものが、多くの先進国の中でそれにとってかわったのです。
つまり、不正な、もしくはいちじるしく不公平な評価を下す者は、たとえお世辞か本心どちらだったとしても決して誠実な目的をもっていません。ここまでいうのはすこし極端でかばさんとその熱狂的ファンの群衆(ビートルズにまさるとも劣らぬ)にとって御聞き苦しいかもしれませんが、あなた、かばさんの発信しておられているかずかずの情報は、客観的に世界水準からみれば日本、世界のリーダーに最も相応しいというほどの驚異的大革命宗教家では決してないし(もしうぬぼれという悪徳にかかわりがなければ当然、泥鰌におのれを例えられる立派な首相先々にさきだって少々自覚なさっておられるとはおもいますが)、それなりの専門家が見れば、すくなくとも放射線言論は生半可な知識ではかなわないというほどでもない可能性がかなりあります。放射能は原子をふくむ運動で、量子ではないと私なんかはおもうのです。
これが誠実な目で市内のある市民活動に近いことをされている方への忠告進言・おはなし・おつきあいの水準だとおもうのですよね。
かもめは、かばさんファンのこのコラムへのコメントには、大変あやしいという気がします。よって、この観察眼の信用性について、また発言内容について現時点では特段謝るつもりはなく、実際あやまる必要性がもしあるのなら、どこにあるのかくわしく説明していただきたい。十分に説明していただければそれを理解するつもりです。かもめ語ではないところですか? かばさんは、自分のファンの熱狂的偏見を、一体、第三者の客観的言説または多様な見方からの水準是正よりも誤って取るほど、冷静かつ理性的な実証知識への探究心がないはずがないのですがね。勿論、すべてはあるごにょごにょの方の「同志討ち策略・勢力分散策」におもえてならないのですけど。つまり、我々市民が喧嘩じみた状態に陥るほど、独裁者の利益です。これが権力濫用による、表現の自由への干渉の最もおそろしい悪効果の一つです。私が注意喚起したかったものも同じです。おわかりになりますね? 市民同士は協力すべきであり、特定イデオロギーへは批判的に避け或いは多角検討し、客観視しあうべきです。真理はそれらの、人間じみたいざこざと獣類時代に由来した権力闘争に関わるつかのまの出来事のほかにあるのです。

・ライトノベルじみたSF小説、というのは誠実な目ではっきりと客観視したあなたの書いているフィクションへの私の評価です。
この点もわたし、かもめは揺らぎません。もしあなたがそこから社会的つながりと慰めをえてきたとして、たしかにそれらはちょっとライトノベル風味のするサイエンスフィクションの数々なのです。純文学風ということはできません、その方がしあわせでしょう。だれにとっても。
 小説は大変千差万別です。その趣味のよしあしも、厳密にはかられていいとおもいます。読者が多いほど卑俗になっていく傾向もある分野ですから、厳しく歴史的見地にたった高貴な批評の水準がその程度を高め得ると思います。
Posted by かもめ - URL 2011.10.20,Thu 23:31:35 / Edit
無題
きわめて狭い場所で、かばさんファンさんとSFによる交流をする。大変結構なご趣味ではないですか。それを否定する必要もなければしない方が大抵の人類にとっては心穏やかではないですか。

 しかし、勿論、当のかばさんファンさんにとっては決してそうではないでしょうけど、
――
ネットには間違った知識や薄っぺらい考察をいい気になってひけらかす人達が多くいますがかばさんにはそういう人たちを正しく導いてあげられる、まさに正義の師、指導者の資質があるのではないかと思います。日本、世界のリーダーにもっとも相応しいと思います。
――
この、かばさんファンのある種熱狂的なコメントには、自分はとっても危機感をもつのです。
 勿論そういうことは起こりにくいでしょうけど、そういう危機感をもつのは、おなじ様な小さな、とじられたコミュニティの中からオウム真理教による無差別大量殺人、ワールドトレードセンターへの大規模自爆テロなどが起きてきた、という時代背景があってのことです。閉じられたコミュニティの中で起きてくる異常な信仰は、その密教性にあるのではないですか。

『閉じられたコミュニティの中での熱狂には人間の正常な判断力を狂わせる魔力がある』とでも書けば、自分がわざわざ、心温まる動物同士(なにせ河馬と鴎ほか)の交流に口を出す理由の一端がすこしご理解いただけるでしょうか。というかそんな不経済なことをそうそうしていて、いきのこれるほど人間界、資本主義の残酷物語はあまったるくつくられてるともおもえないのです。
 ちょっとマッドな考えも秘めてるフィクション好きな市民活動家、こういう方の慰めの一つを奪おうなどと大それたことを考えるかもめはまずありません。
そうではなく、かばさんファンさんのちょっと異常なコメントと、かれらをとりまく閉じられそうな表現・批評空間を、できるだけおおやけのもとに晒そうとするのは、かばさんファンさん自身も
―――
かばさんにはもっともっと大きくなって早く日の当たる場所で活躍してほしいと願っています。微力ながら僕もずっと応援していきますので、これからも頑張ってください。
―――
と書いておられる通り、すくなくとも芸術の意義にとってはプラスだとおもいますよ。
 できるかぎり広く深い交際の中から、もっともよく洗練された趣味と、そのための芸術文化は育まれていくのではないでしょうか。
 その開放性と国際交流は、秘教の様に閉じられた奇種じみた活動とくらべてずっと健康的とおもえますし、すくなくとも信者との供託によって国家や資本、なんらかの異質な集団へ正義という名の暴力をふるうという事態に陥る可能性はいちじるしく低くなるでしょう。

要は、かもめとしてはなかば閉じられたコミュニティの中で過剰になりつつあった「かば信仰」について、 かばさんファンさん 以外の客観した評価を仰いだ、と思ってください。実際、小説の様な虚構による意味内容の伝達は少数者より多くの読者によって、かれらの多くの解釈とつきあわせの余地の中でよりよく咀嚼され理解されるはずです。
 物理でいうと閉鎖系のエントロピーは増大するわけですが、もしかすると表現と批評の空間についてもそうなのかもしれませんね。ある程度の開放系の中でしか、それが定常的に発展することはないのかもしれません。
Posted by かもめ - URL 2011.10.20,Thu 23:59:39 / Edit
大変残念です
かもめさん

主旨は大体理解できたように思いますが、私が今一番恐れていることは、かばさんファンさんが今回のことで萎縮してしまってもうコメントをくださらなくなるかもしれないということです。かばさんファンさんが今回のやりとりをご存じかどうかは存じませんが、かばさんファンさんの反論がないままに一方的な長論によってかばさんファンさんのコメントを非難(批判などの段階を超えていると私は受け止めました)して、それでいて「忠告進言・おはなし・おつきあいの水準」であると言われても、私にはあなたのコメントこそご自分の価値観に沿わないものを押しつぶそうとしているとしか思えませんでした。

そもそも、かばさんファンさんは拙作を強く愛してくださって、私と拙作を広く知ってもらう役に立ちたいとおっしゃってこのハンドルネームに変えてくださった方で、交流は3年目になります。『北茨城私設研究所』を始めてから始まった交流ではありますが、私はかばさんファンさんのことを市役所関係者だと思ったことも、関係を密室的で危険だと思ったこともありません。私にはあなたのコメントこそ私の活動に干渉し、ご自分の価値観に沿うものにしようとする政治的意図があるように思えます。

また、あなたは私がかばさんファンさんからの評価だけしか知らないように思われているのかもしれませんが、かばさんファンさん以外からの目立った反応がないというのは十分否定的な評価で、私は自分がかばさんファンさんが付けてくださる評価に相応しい人間ではないことを十二分に承知しています。ですから、あなたの再度のコメントは「かばさんファンさん 以外の客観した評価を仰いだ」どころか、私が自覚していたことを正面からたたきつけて、私の心をえぐるものでした。

これ以上のコメントは無用です。
あなたのブログの記事を読み、無視しきれずにつぶやいてしまったことをとても残念に思います。
Posted by - 2011.10.22 at 00:21
つけくわえます
「寄り道」ということについて、このどうでもよさそうなかもめのおはなしをいたします。
実際、どうでもいいどころか、池を住み場とした立派なかばとしてはみなとや空をとびまわってきにくわないかもしれませんが、それが進化論の帰結というフシギなはなしですね。ハンドルネーム論争、またはダーウィンという人に影響された動物の私事ですが。

 で、寄り道、というのは、カモメ的にはすべて芸術表現は寄り道とおもえてならないのです。かもめ程度のいきものにアートうんぬんがわかってたまるか、とお思いでしょう。ちょっとまってください。かもめは決して対かば的性質のいきものではありません。
かもめは空をとびまわっていろいろ観察しているだけのものです。見聞は少々せまくないかもしれませんが、それが空をとびまわる因果です。
 わたしとしては、アート界というのは一つの閉じられたサーキットだとおもっているのです。芸術表現は、芸術表現しか達さないともうしますか、ある五感にうったえる次元の形式がすこしずつ変化しているだけです。文芸なら文芸として文字表現の枠があって、そのなかに千差万別のしなものができあがりますが、決してその枠組みをこえることはないでしょう。
だから「芸術はすべて寄り道」というのがカモメ見なのです。その点からすべてのアートを見渡しているのであり、実際どう世界的評価にあうか予言しませんが、かばさんの創作物も各地球内の文明圏を巨視すればおなじアートの必然的宿命をせおっているとおもいます。そのなかで形式的よしあしを問うつもりは、かもめにはありません。その遊びへは飽きてしまっているからです。

 ツイッターなどでもカモメへの問答がかばさんの中にはかなりあるのかもしれませんが、「意見」をもっているのはほかならずカモメ自身ですから、ひとりでかんがえこみ勘違いをふかめたりせず、ぜひこういう風に、このコメントの中でであれ十分にかもめ的思いを説明しますからカモメへの公開コメントとしてください。ひとりでおもいつめると、大抵あいてをうらんだり、よい結果にならないことが多いです。なにしろ、だれであれ、どの動物いきものであれ、無益な喧嘩を好む者はいません。いきちがいがうみだす不経済なすれちがいは、言ってみれば独裁者の手中にはまるだけですよ。もし、それがどうころんだにせよ、もし双方の冷静かつ理性的なはなしあいをふかめることができなければ、独裁者の恣意でわれわれ、市内の動物は不条理にさばかれてしまうだけでしょう。
あなたが書いている小説への評価。このことについてわたしはノータッチです。くりかえしますが、「閉鎖空間でのちょっとおかしなことになりそうなイデオロギー入ってる熱狂」をもっと大きな場所で議論する様にリンクしたのがわたしの善意だったのであり、それは同時にあなた自身をちょっとおかしな勘違いした熱狂、そして自己の絶対無謬性に関するおもいこみからも救うはずです。われわれがもついかなる観念も、たとえば神の全知という絶対的理念にくらべればおそらく次善の意見しかもちえないはずです。市民のあいだにあってもそれは同様なはずです。人はまちがえやすく、そのはなしあいと折り合いだけが双方の意思のすれちがいに一定の帰着をもつことができるはずです。この点、話し合うために時間を惜しまないでください。わたしのリンクの目的はあなたのなかで誤解されているとおもいます。わたしは、むしろあなたとそのファンにとっても「日のあたる」善意、もっと広い批評のもとめをほどこしたはずです。
 このことをはっきりいっておきますが、わたしはかばファンさんもそうですが、かばさんへもどうともおもっていません。これは冗談ですが、動物にあんまりかまうのは無駄ですよね。
それと似ていますが、「閉鎖的コミュニティのエントロピー増大則」のきっかけみたいなもの、ある狂信の芽を、大多数の市民ほか国民、世界の人々へしらせるべきではないか、とカモメ的には判断しただけのことです。
実際、あなたがわたしのもってるウェブログへコメントするまでは(その後のカモメの心情に与えた変化と加えて)そのリンクした記事についてもそれほど意識にあがってきませんでした。オウム真理教っぽい若干変なあつまりについての広い所への情報提供くらいの意識だったのです。そのことは、単に少々おかしなあつまりについてのチェックという感じで、勝手なはなしですが、カモメ的にはおわっていたのです。

 とはいえ、このブログ記事へのコメントのなかで、基本的にかもめがつたえたかったメッセージは大体かいてあるとおもいます。しかし、文章というのはしばしば曖昧で幾重にも解釈可能ですから、わたしがかば氏に特に悪意をもっておらず、どっちかといえば(あなたからのわたしのブログへのコメントの以後は若干)中立的か、さもなければはじめからかば氏に利益を与えようとしている善意の者とかんがえてくださってまちがっていません。大体、さほど知り合いでもない第三者へ悪意を持つものなど、相当の悪者しかいませんよ。関係ない者への幸せを願うのは、通常の慈悲心にとっては常識的ではないでしょうか。かばというハンドルネームの市内のどなたかへもおなじことです。あなたがちょっと攻撃的な、わたしのリンクへの勘違いした、もしくはその記事への一種の悪解釈をほどこしたことからくる悪意あるコメント(乃至は、多少以上にわたしの人格毀損を含む、ある犯罪に類する文章)を11/10/17 17:54にT橋という名で送信してくるまでは実際まったく意に介していませんでしたから。
Posted by かもめ - 2011.10.22,Sat 00:24:13 / Edit
あなたは悲観的に誤解しています
 ちょっとまってください。あなたは悲観的に誤解していまるからです。
 わたしはかもめハンドルネームですが、芸術表現の意義についてそう軽くみているわけではありません。どっちかといえばですが、人間の中では、相当それを重視している組におそらく入れられてしまうとおもいます。はっきりいって、これは謙遜しないでいいますが、かばさんよりかもめはすこしはそれらに詳しいくらいかもしれません。モチロン、私かもめごときは将来を含めた全人類で最もそれに詳しいという地位にはないとおもうのですがね。

 あなたの小説は、特に最も最近のはそれなりに意味のあるものではないですか? わたしの読んだかぎりでは、未来の親子が戦争の意義をはなしあう種類のものです、結局それがなくならない宿命を対話形式で一定の共感をよぶ手法でまとめたものだったとおもいます。
 はっきりいって、純文学という世界は腐っています。その発祥もある腐敗の肯定だったのだから、ある日本的現象といおうか、欧風化の勘違いがうみだした一つのかわいそうな場所にすぎません。その点からみれば、あなたの作風は決して純文学的とは、すくなくとも今までの日本の文壇からはいえないと私はおもいます(尤も、それらも人為でつくられた世界なのでどれほどでも変化し得るわけですが)。
どっちかというとそれはライトノベル、とよばれている世界に近いきがしますし、それ自体は別にどうってことはないはなしでしょう。ある幻想的枠組みの中で複数の登場人物が超常現象の起こりうる非現実的な経験をする。それを叙述して、一般読者の購買力に見合った価格や発表法のなかで彼らの想像力を満たすわけです。否定されていい世界ともおもいません。しかし、また大量の読者を糧にしている世界(出版社にとっては)なので卑俗化しやすく、そうなった作物の方がその世界では評価されやすいわけです。

 これらからみて、かば氏の作品は生真面目すぎるわけです。それ自体は特徴なのでどうということもないのではないですかね。金になった方がいいのですか? それなら別の手立てもありますが、そんな人たちによい意味での報いがあるかっていうと、ないですよ。
今の時点で、明治あたりにいた複数の文人のうち、俗悪な傾向を持った者も高尚過ぎる者もいたわけですが、どっちかといえば後者の方が結局ありがたがられていたりもするし、教科書とかもそっちをありがたいとおもうわけです。大半の市民、国民は読書の習慣もないでしょうから、教科書でしかそういう文芸にふれたりもしないでしょう。サブカルチャーの方がはやっているし今後もはやりつづけるでしょうから。
 だから、かば氏が結構きまじめな傾向をもったものを書いていようがそれ自体、どうでもいいはなしです。重要なのはその作品そのものがもっている意義、意味、歴史的威力です。世界のどこでもそうですが、重要な作品はかならず引っ張り出されて記録されます。多くの人はそういうものをどこかで求めているのです。発見したり、実際そういうものが書かれるのがむずかしいだけです。
Posted by かもめ - 2011.10.22,Sat 00:39:24 / Edit
小説とか審査のこと
SFの枠組みもそうですが、タブンかば氏にとってはどうでもいい世界や話題かもしれないですが、どっかの図書館になんかあるはずですけどたとえばトマスピンチョンってひとの書いた『ヴァインランド』って難しい小説があります。
これはSFも多文化も俗語もえせ東洋思想もまぜこぜになってるかなり複雑な小説で、それなりに世界的評価にあってるみたいですね。実際自分もそれなりにへえって感じで読んだのですが。なんでそんなことをいうかというと、なにかかばさんの小説はおのおのの世界観がぶつぶつ切れてるきがするのですね。それぞれの世界のあいだにつながりがありそうなわけでもなく、一個の制作のなかで区切ってしまってそれらのあいだに交通や交流がない様にみえるわけです。
スリップストリームといわている、いま国際的にはやってる手法はこういう世界観のまぜこぜをフツウにやってるわけです。SFもファンタジーもリアリズムも自然主義もなんでもありって感じです。とっても売れている小説家、もそうですからね。そしてそういう複雑性が、ある生真面目な世界観の中での起こりうるできごとへの共感より、ひとびとの好奇心をさそうことがおおいらしいのです。かばさんがそれをしようがしまいが。

 どっちにせよ、相当がんばらないと芸術的評価はむずかしいとおもうのです。あなた、かばさんも以前、ツイッターかでおっしゃってましたが、虫は楽して鳴いてるとはおもえないですよ。それと人間の自己表現もそう変わらないんじゃないでしょうか。卑怯なやつもいますし、妨害者も、政治的戦略者も多いです。なになに派とかなになに主義とか、人気作家とかは大抵そういう社会的戦略のことです。
非常にむずかしい本ですが、またかばさんは興味ないとおもいますけど、夏目漱石の『文学論』というのの最後の方にこういう派閥闘争みたいな側面についてかなり解説してあります。文芸界も決して楽ではないのですし、これからも楽ではなくなりつづけるとおもいますよ。人間は善意だけでできているいきものではないからです。かもめとは大違いです。

いずれにせよ、かもめとしてはオウム除けが基本的意図だったとおもってください。あなたカバさんが考えるほど、かもめはそう創作者らに深くかかわるきがないです。だから、あなたとファンの交流に干渉するなんてのはまるっきり勘違いです。
権力者が表現の自由を阻害できる世界は、自由な意見交流もできなくなってしまうのです、そのことはもうあっちでもこっちでも書いたとおもいますが。たとえば、芥川賞の審査員は石原慎太郎都知事がかなり前からやってるのですが、その息がかかっているという意味では特定の反権力的才能(大抵の天才はそうです)がつぶされているのですね、かれ本人がどうおもってるにせよ。それと似たことは、この独裁に近い行政体制にある北茨城市内でも十分起こりうると見えますし、それに近い事態におちいりかかっていたんじゃないですか、この記事で。
Posted by かもめ - URL 2011.10.22,Sat 00:59:50 / Edit
まとめ
 どうでもいいはなしでしょうが、結論をいうと、かもめ的には かばさんファン というポストの人が権力者でなければどうでもいいです。その人が権力者だったばあい、あなたの意見を御用的に利用する危険性があります。
結果、あなたのみならず、市民へもほかの国民へも、あるいは世界へも何かしら悪影響を与える可能性がかなりあります。(一番それが極端に出たのは戦中でしたし、そのとき、大きなきっかけは国会で起こった天皇機関説への弾圧だったのでしょうが、僕らはこんななんでもない様な自由な話すらできなくなっていったのです。はじめのきっかけは小さい様にみえて、そのときの決定的反撃が自由民権側にとって最も重要だったと歴史をふりかえるといえるのです。)
このホームネームかもめって人は、そのかもめのくちばしのごとくするどい性質があるわけで、これは自分のがわの記事にも書きましたが、いくつかの言語的・文体的特徴が某行政人に近いという共通項の発見をしたのです。実際それが勘違いで終ればめでたい話です。なぜなら、あなたがおもいこんだあなたの小説を書く趣味そのものへの非難なんてーのは、ただのかもめには一切ありえないからです。たとえ寄り道だと感じていたとしても。芥川龍之介やらチャールズ・ディケンズを叱った、また叱れた人は当時いたでしょうか? やばいくらい悪い小説を書くわけでもないかぎり、そうそうその器用なひとが怒られようもないわけですよ。

だれもが見て取る相当な悪趣味でもないかぎり、またそういうものがやたらはやってでもいない限り第三者にはどうでもいいでしょう、それ。まあ実際そんな俗悪書・譏世書(あえて名前はあげません)がはやりまくって売れまくってる現実の改善のが優先課題です。かばさんも、その現実を変えてくものを書いてほしいものです。ろくでもないですから、小説家ども。
Posted by かもめ - 2011.10.22,Sat 01:25:58 / Edit
言論の自由は重要ですよ
どっちにせよ、あなたは政治家というものの性をあまり高く買いすぎている様です。そして「自由市民」というものの持ち得る強度の善意を、あまりに軽く見積もりすぎています。

自由市民には公益に類する活動から得られるほとんどどんな報酬もないのです(この点は、あなたも十分に理解できるとおもいます)。それに比べて、政治家はその地位のためにすべてそれらの活動(みずから誘導した混乱の平定も含む)を報酬とできるのです。
どちらが「公益」について、腐敗しやすいか、つまり自己利益のために全体を犠牲にしやすいか理解できますよね?

 私は、これらすべてを見返してみても、ある政治的悪意が裏に透けて見えるとおもうんです。あなたの活動をどうみても、正義の師でもなければ世界のリーダーにふさわしいわけでもなさそうにおもえます。小説はそれなりに(もしくは発表に十分なほど)書けるからそこはいいのかもしれないですけど。
そして、これらの真相について確証を得られる日は近いでしょう。
 私の記事の側にかきましたが、このちょっとした記事への褒め殺し的べた褒め狂乱は、より冷徹な眼を持ったフリージャーナリストへの牽制、つまりかもめ下ろしに見えて仕方ないのですね。そのことははじめに書いたはずですが。
ある恣意的世論誘導であなたを見方につけてもしくはある意図から懐柔し、かわりにそのフリージャーナリストの公益に類する見解を攻撃させる。この程度、ちょっとしたやくざならかんがえつきそうなものですから。そして、そのとおりだったとすると、あなたはまんまと彼の罠にはまったのです。

独裁者というものはその絶対権力の腐敗についても絶対ではないでしょうか?
歴史に例外があったとしたら、天皇がどうして生き長らえたかにも明白な答えがえられるはずです。もし得られないとすれば、歴史に例外はなく、天皇は世襲独裁者としてこの島国をながらく腐敗の極度に置いてきたことになります。
形式的王政が特定宗教を兼ねた日本の体制は矛盾していることになります。国歌の問題についても同様に、政教分離が十分はかられていない先進国は日本だけではありませんか。
 かばさんにあるいははどうでもいいことでしょうが、表現の自由のなかのもっとも先鋭的な部隊の一つが戦後にこの国でたたかってきたところによれば、それらの絶対権力をもつ固まった社会構造について多くの矛盾や不備や不正をあばきたてるおおきな仕事はまだ続いているはずです。
ある巨視的視点でみると、重要な言論人と目されるひとはこの社会構造に風穴をあけようとするか、できるかぎり改良をくわえようと奮闘した人々になっているでしょう。多くのひとが抑圧されているよくはない体制を変えるための努力は、やはり多くの人に支持されざるをえないのでしょう。
オオエケンザブロウという小説家のひとは、この点で虚構のわくぐみ以外でもできるかぎり天皇制度のずるさ、間違いやすさ、卑怯さを指摘しようとしているとおもいますし、初期のムラカミハルキというひとも資本主義社会のもっている個人をおさえつける力について似た様な強度で反論をくわえていたとおもいます(最近はその側に立ってしまったというあわれなひとですが)。
ライトノベル作家になりたいならなかば職能面でどうでもいいことでしょうが、言論人としては「権力との対決」は時に直面せざるをえない課題です。体制に迎合した言論であるかぎり、時代の体制が抱え込む腐敗を個人の言論の力で変えることはできないでしょう。今回の様に。
 天皇批判がタブーになった様な時代は、確実に我々の地位にあった人々の仕事と、高貴な自覚が足りなかったのです。
Posted by 市民 - 2011.10.22,Sat 01:59:05 / Edit
無題
あと、かばさん自身はこれらの文からみるに、
―――
そもそも、かばさんファンさんは拙作を強く愛してくださって、私と拙作を広く知ってもらう役に立ちたいとおっしゃってこのハンドルネームに変えてくださった方で、交流は3年目になります。『北茨城私設研究所』を始めてから始まった交流ではありますが、私はかばさんファンさんのことを市役所関係者だと思ったことも、関係を密室的で危険だと思ったこともありません。私にはあなたのコメントこそ私の活動に干渉し、ご自分の価値観に沿うものにしようとする政治的意図があるように思えます。

また、あなたは私がかばさんファンさんからの評価だけしか知らないように思われているのかもしれませんが、かばさんファンさん以外からの目立った反応がないというのは十分否定的な評価で、私は自分がかばさんファンさんが付けてくださる評価に相応しい人間ではないことを十二分に承知しています。ですから、あなたの再度のコメントは「かばさんファンさん 以外の客観した評価を仰いだ」どころか、私が自覚していたことを正面からたたきつけて、私の心をえぐるものでした。
―――
どうも次の二つの点で、何かしら私の言ってることや私の側の意見を大きく取り違えしてるとおもいます。

1.私設研究所って名前になってるものの前の形態(カモメもみてましたがその頃は今より政治的なサイトでした)の頃に監視と干渉がはじまったと仮定すれば、万が一ではありますがかもめの推察の通り、かばさんファンとやらが某市長本人でその市民活動家をマークし、できるかぎり都合よく誘導や市政への隈ない監視から排除しようとしてる可能性ってのがいくらかあります。

これはあなたにとって受け入れがたい真実かもしれないし、実際まったくもってそうでない可能性もあります。そのファンさんとやらが純粋なファンかもしれません。そう振舞っても疑問はないでしょう。
 しかし、この記事のかばさんファンによる最初のコメントの中にひそまされている様に、わたしの観察眼がとらえる何事か、ただごとじゃなさはまこと評価とみて怪しいと感じられてならないのです。正義の師、世界のリーダー。これらは小説家を褒めるときの言葉ではないとあなたもおもいませんか?
もし敢えて解釈しようとすれば、「よしよし、お前はジャーナリストを兼ねた目だった市民活動家としての邪魔な市政監視をいくらかゆるめてくれたな、このままこいつの小説をほめておけばきっと市井のちょっとした一研究者まがいとして、わたしの体制へついての批判だけは億劫がってあきらめてくれるにちがいない。それが終っておとなしくなったらお前を市政に重用してやってもいいぞ」ってなにおいがします。あなたもちょっと冷静になって上述の完全無欠に見えるべた褒めの記述を客観視しようとすれば少々赤面せざるをえないかもしれないでしょうけど、褒め殺しすぎますから。実際に、あなたが世界の正義のリーダーとしてオバマ大統領を率いてイスラム原理主義者と戦うとかその逆なら話は別ですが、大変そういうことになりづらいとわたしは見るし、実際ならない方がいいですよ。宗教原理戦争はそれ自体神の名に於いて矛盾した戦いであり、消耗戦にすぎません。
 自演、とかきこんでくれた方は、そこまで文体からにじみ出る所を深読みしたかはどうか、すこしそういうこれはってな雰囲気をよみとっておられたのではないでしょうか。
だから、私みたいな第三者はかなり以前から観察してはいて作品なんかも拝見してはきたがこれらの策略じみたしわざで徐々に御用化されるかの様なかば氏へ遠くから観察していてきづいたことを知らせずまったく放って置いて、あーあかわいそうってな感じになったり、あるいはハハハ、出世して給与もらって、よかったね権力にとりこまれてそれがしたかったんだバンザーイってな観点でかばさんの一生の波乱に満ちた栄華を祝えばよかったのか、もしくは、市民の啓蒙なんかそっちのけ政府と既得権に都合のいいことばっか言うようになったねまことに残念ってな皮肉な観点をもった方がよかったのか、あるいは人間などどんなに偉そうなことほざいてても所詮こんなものだ、金で釣ってちょっとした地位をやって驕らせばひとたまりもない俗物だ、と人間性の限界についての底暗い見解を深めたほうがよかった(ということはない)のかまだわかりませんが、どれにせよ、とかく自分のブログで自由に書ける範囲では真相っぽいことをできるかぎり広域のひとにしらせるべきだろうと判断したのです。
かばさんがこっちのブログへきて、かもめ名誉毀損の暴力じみた書き込みをするまでは、かばさんに関わるきすらなんらなかったわけです。本気で。
 おそらく、この問題(べた褒めによる権力懐柔らしきもの)のとらえかたについて重要なのは、できるかぎり高度な客観性と教養と良識にみちた判断力のある第三者の目です。かれらが監視していれば、そうそう権力は横暴できなくなるはずですから。そしてそのとおりになるでしょう。

それと、
2.小説を評価されようとすれば方法を問わずできるかぎり広く頒布すべきである。
ということがいえるとおもいますよ。どこかの地方のひとがちょっと慰みみたいに書いている風に見える、すこしのかきもの、しかもフィクション。こういうものを一気に皆が読み漁って賞賛しまくる、ってことはまずないですよ。どれだけの天性に恵まれていても、99%についてやはりそうでしょう。
箔なりコネクションなり審査員の分析と対策なりなんらかの審査員への誘惑なり、大抵の文芸関係の出版の賞はそういうものでうめつくされてはいるといっていいとおもいますが、そういうハードルをうまくのりこえて、それから継続的に執筆できれば人気をとることができる、ってのがその世界の基本的ルールではないでしょうかね。当然そういうルールをはみだしたところに大抵、めずらしい素材があるわけですけど、同時に、おおくの読者を本気でもちたいなら(それが幸福なこととはかぎらないでしょうが)上に書いたルートをすりぬけるほうが得策ではないでしょうか。ネットはいまのところ、かなり若い世代にしか浸透力をもっていませんよね。
Posted by カモメ子2 - 2011.10.22,Sat 05:51:56 / Edit
創作について
これらのすべてが杞憂で、実際に市政の質が低い(低すぎる)のは単に、市役所員と市長らの教育された程度の問題、もしくはうまれつきの能力の程度なのかもしれません。
だから公共奉仕があたかも怠業されている様に見え、実際にほとんど能力としては三流みたいな数々の実例があきらかになってきてても、それは彼らの能力の限界なのであって、すべてはあわれな地方都市を構成した人民もしくは半世襲の定常的才質の欠落に起因するのかもしれないです。

 つまり、この記事のコメントが密室である宗教がかった狂信とその端緒、あるいは贔屓目とうぬぼれ者どもの鏡の世界をはっきり示していたとしても、それはまったく広域へはおおきな害のないただの地方のちょっとしたいなか的できごとだったのかもしれません。
独裁権力者に近い状態で市議会での活発な議論を抑制している世襲かつ大金持ちの特定人物が牛耳った行政の下で、市民活動家に近い者がそのもとでのちょっと恣意的に見える褒め殺しにまんまとはまって関係ない第三者をやたらと誹謗したのも、ただのつまらない地方のいなかじみた無教養層にありそうな悲劇なのかもしれません。

 それらをすべてかえりみたとしても、自分はなお、3000万円をわれわれの支払った市の税金から毎年ふところに収めているひとがほとんど前進がない様にみえる遅れた公務以外に労力を使っているとおもうと、ゆるしがたいとおもいます。実際そうではないと自分は信じたいですがね。そういうしわざのために、事実、津波で5人が亡くなったのです。
 そしてかばさんという市内の在住者が、ある偏った熱狂者のためうぬぼれにおちてそれ以上の創作上の向上の階段をのぼる過程をあきらめてしまうのは芸術についての考究心から言っても、自分にとっては絶対にゆるしがたいことです。アルベルティというルネサンスの画家がはじめに『絵画論』に書いていることですが、創作家は客観的批評に真摯に耳を傾けるべきです。そのことでしか創作のよしあしを本当に自覚するのは難しいでしょうし、多様な意見の中からよりよき指摘に反省を深めて作風を日々改良し、無限に向上していくこともできなくなります。第一、わざわざ仕事を見ていて意見や批評してくれる人間を非難するなどもってのほかです。それならば永遠に人前に出さなければよろしい。創作家としてみずからの仕事に誇りがあるのならば、いかなる批評も甘んじてあおぎ、その本質が正否どちらかを判定するがよろしい。それができぬのならば人前でみずからの仕事を披露などせぬことだ。
くだらぬ文句もあれば正しい意見もあるだろう。それらを精確に見分けられねば一生涯、小説家として身を立てていくべきではないでしょう。なぜならば、人間は無数にいるのであり、かれらは千差万別の個性をもっているのだから、万人に一様に褒められる様な仕事など、我々をこえた神の物をのぞけば、永遠にありえないのであるから。この限界があればこそ、人間の創作物はさまざまな意見にあうだろうし、その中でこそ仕事の向上の余地があるのではないですか。
Posted by 市民 - 2011.10.22,Sat 06:25:39 / Edit
私の待っていること
それで、あなたからこの人格毀損と以外に形容しようがない、犯罪に類しているであろうコメントの投稿について私への謝罪はないのですか。
 もし、本当に岡倉や雨情に申し訳が立たないとすれば、それは私でなく、犯罪行為をしたあなたの側ではないのでしょうか。もし本当にそうならば、かばファンさんのちょっと異常なコメントを私が自分のブログからリンクしたということについて、これほどの悪意あるコメントで私の人格を毀損したあなたは、公的に謝罪をするべきではないでしょうか。それを待ち続けます。あなたがその謝罪をするまで私は永遠に。

---
貴殿のようなお方がいるから、茨城がバカにされるんでしょうが・・・。
他人に文句言う前に、ちゃんと働いて人間としての責務を全うしなさい。
野口雨情にも岡倉天心にも申し訳が立たない。 T橋 11/10/17 17:54
Posted by 市民 - 2011.10.22,Sat 07:00:44 / Edit
くりかえします
仮に、私の文体推測の正否がどうであれ、それはあなたには関係のないことだったはずです。その人物がもしまったく無関係な第三者だったとすれば、市民活動家への現職市長らしき人物からの世論干渉に近い事例がなかったということですから、誰にとってもそれはよいことだし、この市や人類や市民にとってもよりよいことでしょう。実際、私の記事ではそのファンと名乗っている方のファン性に言及したことはなかったはずです。単に、権力濫用の余地を寸分ものこさず分断しようとしただけですから。
 実際、あなたの書いている純文学と言うよりはどちらかといえば構成がライトノベルに近い、登場人物の命名も現実離れしているSF作品は、芸術一般がそうである様に、全人類の行程の中では寄り道の一つだと私はおもいます。それとも、文芸というもの、しかも小説というある既存カテゴリーにあてはまる一つの文字の遊戯が、全人類の行程もしくはあなたをつくりあげてきた自然の長にとっての最終結果なのでしょうか。ちょっとそうとは思えないのですね。あなたが消えても人類は存続するでしょうし、その創作物は人々の中である程度流通するか、少しまたは非常に長く経って忘れ去られるはずです。それが芸術作品というもののもっている宿命だとおもいます。

 これらをどう見返しても、私の側にあなたへ謝らなければならない点があったとはおもえないのです。
 むしろ、上述の人格毀損に該当するコメント(なぜなら、岡倉や雨情が私を褒らむかもしれないし、私の職業はあなたに干渉できるものではない、さらには、私のおかげで茨城県民全員が未来永劫にわたって重々尊重される結果になる場合も十分ありえる。これらをかんがみ、あなたの人格毀損発言はまったく不当な、単なる悪意を持った誹謗目的である)を投稿してきたあなたの、あなた自身からの私への謝罪はないのですか。
もしないとすれば、私は決してこの一件をあやふやにごまかしてしまうつもりはありません。くりかえします。あなたが人格毀損発言について「謝罪する」ことがなければ、私はその間違いを正すためにあなたを公式に追及しつづけるつもりです。そのことはあなたも覚悟なさっているからこれらの私を(その公的報道による公共の福利への貢献の活動を)不当に非難する数々のコメントをされているのだろうとはおもいますが。
Posted by 市民 - URL 2011.10.22,Sat 07:25:51 / Edit
無題
これらは法律の話ですから小説にくらべればそれはつまらない話でしょうけれども、ただ、たしかにあなたは不正なことをなさっているとおもいますよ。それも一つの悪意であり、この市内で起きた事例になるわけです。

 どこかのウェブログからリンクがあって、どこかのブログのコメントについてトラックバックというものでしょうが、意見が書かれていく。これは普通にネット上で日々起きていることですし、その中にそうそう人格毀損みたいな話はないはずです。それをしたのはおそらくあなただけです。
 公益に類した指摘のばあい、人格毀損罪については一般市民に対する者の様に、それと同等には決してはとらえられないのです。これは、その公益に類する公表もしくは報道が一般市民、もしくは社会一般の公的福利に合致した指摘かもしれないからです。あなたはこの法理がわかっておられないのではないですか。
そのために、わたし共の記事「かもめのするどい目」を勘違いし、あたかもだれかしら第三者についての否定的論理と誤解して、もしくは悪解釈してうけとったのにすぎないのではないですか。
 この点にかんちがいがあるかぎり、わたしはあなたがわたし達についてある申し訳ないことをしたこと、つまり筆者の人格を一方的に誹謗し、その尊厳を貶めたことをゆるしておくわけにはいかないとおもいます。それは同時に、あなたの人格をも否定することでしょう。なぜなら、すべて理性をもった人間は、他人を不当におとしめてはならずその権利を尊重できねばならないはずだからです。そうでなければあなたの権利も当然尊重されなくなるでしょうし、すべての人間についてそうなるでしょうから。

 また、あなたはわたしの職業へも干渉しようとした発言をなさった。職業選択の自由は、日本国憲法にも規定されていたはずです。それが法の目的を害したり、公共の福利に害しない限りで、という条件つきなのは常識ですが。
この点も、あなたのご発言はまことにまことに、人格の尊厳にとって不当なことです。その点についてあなたご自身、はっきりとした反省がなければ、そしてことあるごとのツイッターでの暴言のごとくそれらを糊塗するつもりならば、わたしはあなたの職業干渉の不義理、社会的不合理についてよりくわしく説明していく所存ですが。
個性を尊重することは、同時に、その人物の社会的能力を尊重することではありませんか。仮に、それが金儲け以外に生まれついたばあい、一体あなたはその人物を不当におとしめていいとお思いなのでしょうか?
もしそうでなければ、わたしの言論活動による公益への奉仕をあなたが一方的におとしめていいわけがないはずです。この点について、あなたは他人の職業、すくなくとも法益もしくは人類文明の公的道徳心に合致しているかぎりですべての活動を十分に尊重すべきであり、可能ならばわたしの活動全般の労力とそれによって得られた市民ならびに日本国民、人類全般の利得のために、相当謝罪すべき必要があると思えてなりません。これらのすべてのあなたに対する説明の手間は、当然、わたしの労力を奪っている以上、公益についての阻害におもえてなりません。あなたが人格毀損に該当した暴言を投稿してこなければこれらのあなたの悪意ある誤解と悪意ある他者の人格の損失への説明に要する時間は宇宙に存在しなかったはずですし、その方が全人類にとって幸福だったにちがいないのです。
Posted by 市民 - 2011.10.22,Sat 08:00:33 / Edit
無題
「かもめのするどい目」という記事は、冗談をのぞけば100%善意でできています。実際に、権力の干渉によって言論の自由が侵されて不条理な自滅戦争に突き進んだ国の中にあればあなたもこのことは十分に理解できるはずです。

これもくりかえしになりますが、あなたの作品の小説性についてあまり深く議論したり、その意義について私の側がうんぬんすることは決して理想的ではないとおもいます。私にはそれができるとおもいますが、それが私の職能ではないからです。
すくなくともそれらのカテゴリーづけによる銘々といおうか、言及のための固有名詞づけくらいしかあの記事ではしておらず、それも小説を形容するため便宜的につけたもので、どうとでも変化できるものです。雨情の童謡を子どもの気持ちを代弁したもの、と言ったみたいなものです。純文学じみたSFというのは、自然主義の傾向をもってなければいいづらいでしょうから。

 したがって、私の記事側にあなたの人格的尊厳やその作品の質をどうしようという意図もまったくありませんし、あろうはずもありません。それらは、専門の批評家や一般読者がすべきことではないでしょうか。私は「公益に類する指摘」が必要とおもわれた箇所をピックアップしようとしたわけですが、Copyright ©2007 かばの舞台裏 All Rights Reserved という下書きがありますからそれが不可能だったわけです。ニュース記事ではないですからね。
あなたのもっている著作法的に可能な範囲で、すこし怪しいとおもわれる「権力から発されている様にみえる言論を左右しようとするイデオロギーの含まれているコメント」をできるかぎり広域の公正な客観視にさらすべきではないか、とかもめの敏捷さは判断した、とくりかえし説明してきました。

 これらをかえりみると、あなたがいきなりわたしのウェブログのその記事へ、職業干渉・人格毀損・犯罪擁護をしたのこそ、そのウェブログの保持者ならびに当記事の筆者、そして法益を尊重し遵守しつづけている善良な一般国民への謝罪に値する用件ではなかったか、とおもえます。
この点についてはあまり反省する能力の有無といおうか、かばというホームネームの通りのある種ともうしますか、一面に於いて獰猛もしくはいちじるしく従順に反した特別なあなたの持たれた一定の聞き分けがたい資質にもよるのかもしれませんが、どちらにせよ、私はすべて過去にあったことをかえりみ、あなたの行為とわたしの行為をみくらべてみて、さらにすべてこうしたそれらの言動がみちびかれてきた双方の過程の分析をしてみて結果、どっちかといえばあなたの暴言はわたしの公的指摘にくらべて陰湿で、悪質ではなかったかと判定されてなりませんのであります。
それについての謝罪があれば、これらの一連のてつづきはそうとう省力化できるとおもうのですが。もしどうしてもしたくないとあれば、わたしがこれまでしてきました様に、あなたへなんの悪意どころかほとんど意思すらもってないというのをどれほどでも、くたびれるまで説明しますが。
Posted by 市民 - URL 2011.10.22,Sat 08:17:41 / Edit
それは私ではありません
かもめ・市民・カモメ子2さん

あなたのブログに「T橋」というハンドルネームで悪意のコメントをした者がいるそうですが、それは私ではありません。
私はあなたのブログにコメントしたことはありませんし、しようと思ったことも、「T橋」なるハンドルネームを使ったこともありません。

それなのに、私がコメントしたかのように決め付けられて大変心外です。
しかも、私が確認しようとあなたのブログを見ると私を呪っているとしか思えない記事が複数あり、悲しみや怒りを通り越してガッカリしてしまいました。

私のコメントだと決め付けられる前に、せめてIPアドレスなどのアクセスログを確認なさってください。

これ以上のコメントは他の人を萎縮し、このブログをあなたのおっしゃる「密室」にしてしまいかねませんので、しばらくの間、コメントはブロックさせていただきます。
Posted by - 2011.10.22 at 15:32
無題
寂しくないの??
Posted by きたいば - 2011.11.03,Thu 17:34:01 / Edit
何かあったんですか?
きたいばさん、こんにちは。

あなたこそ、職場で何かあったのですか?
Posted by - 2011.11.03 at 18:06
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プロフィール
HN:
かば
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1978/12/25
職業:
患者団体役員
趣味:
考え事
自己紹介:
軽度な短腸症候群の患者で、「短腸症候群の会」という小規模な一般社団法人の代表理事をしています。
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